2009年

ーー−8/4−ーー 木のネジの魅力

 これは押し花機である。英語ではFlower Pressと言う。10年以上前から大竹工房の製品のラインナップに入っているが、このたびわずかなモデルチェンジをした。以前のものは、大きめで、少々ごつい感じだった。今回の変更で、若干小さく、軽めの印象になった。それからハンドルを、可愛らしい形にした。

 この品物のポイントは、木製のネジである。木製のネジなど、現代日本ではほとんど見るチャンスが無いだろう。しかし、欧米の木工関係の資料を見ると、ときどき眼にすることがある。

 木製のネジには、金属製には無い良さがある。

 まず、クリーンである。金属のネジは、潤滑のための油を注さなければならず、その上摩耗による細かい金属粉が出るため、黒い汚れがつきまとう。そういうのが付着すると、木材は台無しになる。

 次に、締め付けがソフトで良い。金属のネジのように強引ではなく、微妙な手加減を効かせられる。キュッと締まったときの、馴染み具合も良い。

 私はこのネジを自作するが、もちろん専用の道具を使う。三枚目の画像に、その道具の外観を示した。米国製の、単純な構造の、ちょっと安っぽい感じがする代物である。この道具の上にルーターという回転刃の機械を固定し、専用の刃を取り付ける。ルーターのスイッチを入れ、この道具の片側から円棒を回転させながら挿入すると、反対側からネジになって出てくる。

 実に単純だが、良く出来た道具ではある。セッティングは少々コツを要するが、いったんセットすれば、繰り返しいくつでもネジができる。値段は憶えていないが、大した金額ではなかったと思う。こういう道具が市販されていることだけを見ても、日本と欧米の木工文化の違いを感じてしまう。

 以前、外国の文献をめくっていたら、木のネジの歴史のようなものが書いてあった。昔の人が、機械を使わずに、どのようにしてネジを加工したか、イラスト入りで詳しく解説してあった。それは実に興味深い内容であった。それと同時に、昔の工人の知恵と工夫と技術の凄さに、驚いたことを思い出す。ノコギリやノミなどを使って、丸棒にネジを刻むのである。しかも、メネジの方も、穴を開けた木材を二つに割り、内側に手加工で溝を切り込んだりしたのだ。

 そういうことをやってみろと言われたら、現代の木工家の私には、まったく自信が無い。



ーー−8/11−ーー 異常気象の夏

 この夏の天候は、異常としか言いようがない。7月14日に甲信越地方の梅雨明け宣言が出て以来、まともな夏空になった日は一日も無い。

 まともな夏空とは、私の感覚で言うと、朝から少なくとも午後3時くらいまで、すっきりと晴れて青空が広がり、太陽がギラギラと照りつけ、北アルプスの稜線がくっきりと見えている状態を言う。

 それがこの夏は、山の見え方ひとつにしても、綺麗に眺められた日は全く無かった。まれに晴れた日があっても、山の上には雲がかかっていた。それは、大気の状態が常に不安定だったことによると思われる。稜線上の山小屋では、布団を屋根の上に並べて干せた日は、ほとんど無かったのではないだろうか。

 雨降りが重なり、湿っぽい日が続くと、木工作業にも支障を来す。湿度が高い状態では、木材が水分を吸収して、膨張している。そんな材を使って組み立てをすると、後で乾燥した気候になったとき、材が収縮してガタが出る。壊れるまでは行かなくとも、組み合わせ部分に隙間が出来たり、段差を生じたりする。そういう現象を、「材が狂う」とか、「材が動く」と呼ぶ。多少の狂いが出ても、実用上は差支えないこともあるが、隙間だらけの製品ではみっともない。

 湿度の高い時期は、細かい精度が要求される加工は避け、いわば大雑把な作業をするしかない。かと言って、材木出しなどの屋外作業も適さない。長雨が続くと、次第にやることが無くなってくる。工房の生産性は低下する。猛暑の夏も辛いが、ジメジメした夏は、気分が滅入る。

 下の画像は、工房に置いてあるトライアングル湿度計。三角の頂点が閉じているのは、湿度が高いことを示しているが、ここ数日、この形が変わらない。


















ーー−8/18−ーー 生き返った楓

 雨ばかり続いて、台無しになってしまった感のあるこの夏だが、良かったことも無いではない。

 庭に生えている一本の楓の樹。膝くらいの高さの幼木を移植して、もう5年以上経つだろう。ちっとも大きくならないねなどと言っているうちに、3メートルほどの大きさになった。

 その楓が、7月の上旬に元気が無くなった。葉が赤くなり、枝の先の方から縮れてきたのだ。一昨年の夏、同じような症状を見せた別の楓は、秋になって枯れてしまった。一昨年の夏は、猛暑で雨が少なかった。今年も、6月は雨が少なく、空梅雨の様相を呈していた。楓は乾燥に弱いらしい。この地は扇状地なので、水はけが良く、地面の水分が抜けやすい。降水不足が続くと、意外にあっさりと、枯れてしまうことがある。

 たまたま訪れた地元の人が、「この楓は危ないかも知れませんね」と言った。何年も前から見守ってきた樹なので、枯れてしまっては残念だと思った。その人は「枝や葉を切れば、まだ助かるかも知れませんよ。せっかく育ったのを切るのはもったいないですが、枯れてしまっては元も子もありません。元気になれば、また枝は育ちますから」と、助言してくれた。

 幹を途中で切り、葉の付いた小枝も上の方から順に落とした。葉を全て落とすと、光合成ができなくなって、かえって弱るとのことだったので、地面に近いところの、元気の良さそうな葉は残した。作業を終わると、良い枝振りだった樹が、地面から立っている棒のようになった。

 ホースを引っ張って、根元に水をやった。一時間水を出しっ放しにしたが、もはやいくら水をやっても効果が無いように感じられた。

 そのうちに、雨降りが始まった。雨の日が続く合間、時々樹のそばに行って様子を見た。変化は現れなかった。他の庭木は、雨を受けてどんどん枝を伸ばし、葉を広げた。雑草も、腹立たしいほど勢いが良かった。しかし楓は沈黙していた。

 立秋を過ぎても、雨の日が多かった。うんざりするほどの長雨だった。そんなある日、いつものように近寄って見ると、幹に小さな赤い点がポツポツと付いていた。よく見ると、芽だった。ようやく再生の兆しが見えたのである。

 長雨で、季節感に欠ける夏だったが、その雨のおかげで助かったものも有るということか。ギラギラと陽が照るいつもの夏だったら、いくらホースで水をやっても、あの楓は生き返らなかったかも知れない。しつこい雨のおかげで助かったと思ったら、少し気持ちがほっとした。








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